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塾長のここだけのはなし(講師ブログ)

塾長のここだけのはなし(講師ブログ)

こんにちは。
出町アカデミー塾長の古川です。
ブログを始めました。
さて何を書けばいいのかと毎回迷うことになりそうですが…

塾生とのやりとりから思いついたことを書いていくことにします。

 

これまでの記事

「隣のお嬢さんの成績がいい理由」

 

「塾は生徒にとってどんな環境であるべきだろう」
・3年生は文句ばかり言うので1年生に嫌われる
・お互いが違うことを考えているのは当たり前
・学校教育は社会性を育てる
・塾が教えているのは勉強だけではいけない
・どう学ぶかが学習効果を変える
・どう学ぶかはどう他者と向き合うか・未知と向き合う楽しさを知る教室

 

塾は勉強を教わる、また、教える場所です。
ただ、教える「だけ」の場所であってはならないと思っています。
生徒に見えている世界を変えるようなインパクトを与えなければいけません。


「3年生は文句ばかりを言うのでたまにほめても1年生に嫌われる」

「先生、聞いてくださいよ。」
授業の合間に中学1年生のB子さんが思い出したように話し始めました。
はいはい聞いておりますよ、と私は先を促してみます。
(雑談を長引かせたくありませんが、こういうときはまず聞いてみることにしています。)


「今日、3年生に褒められたんですよ。」
部活中に、1年生は声を出している、と褒められたそうです。
この話は褒められることが珍しいのでうれしい、というところから始まったのですが、
よくよく聞くとふだんは「文句」をいわれてばっかりで、それが不満だ、という話のようです。

 

「3年生は早く部活をやめればいい、という他者が見えていないことの乱暴さ」

それで、むかつくから3年生には早く部活をやめてほしい、と。
3年生にも苦労はあるでしょうから乱暴な話ですが、まあB子さんの気持ちもわかります。
1年生には3年生の重ねてきた2年間は伝わりませんので。
不快な時間はだれだって過ごしたくないものです。

 

「お互いが違うことを考えている。それが当たり前だと認識しないことが本質的な問題」

私が問題だと思うのは互いの考えが「伝わっていない」ことです。
私の学生時代を振り返っても、上級生は下級生に考えを伝えないことがほとんどだったように思います。
きっとあちこちの学校で同じことはおこっているのでしょう。
(というか、学校や学生に限らず、会社の上司と部下の関係でそういう話はよく聞きます。)

 

逆に下級生が上級生の考えや感情を推し量るのも無理な話です。
互いに他者が何を考えているか知らないし、想像もできない。
そしてもっと本質的な問題として、お互い考え感じることは違うのが当たり前、という認識がない。教育の力で解決できないものかと思います。

 


「それぞれの学年が他の学年との関係で悩んでいる。」

私はB子さんの愚痴を聞きながら、以前担当した別の生徒さん2人を思い出しました。
ある中学2年生の生徒さんは部活の連絡係でした。
1年生が言うことを聞かない、と愚痴を話してくれました。
ある高校2年生の生徒さんはキャプテンになりました。
同級生と下級生からのそれぞれの要望を聞くことにひどく疲れている様子でした。

 

違う学年の生徒さんがそれぞれ他学年との関係で悩んでいる。
別の学校の生徒さんの話をつなげた結果ではありますが、

やはり、互いに仲良くできないものかと、もどかしい思いを抱いてしまいます。
もっと上手く歩みよれると思うのですが。


「学校教育は知識の勉強だけでなく社会性も教えている」

どう仲良くするか、どう歩みよるかを教えるのは実際には至難のわざだとも思います。
(教えるべきかは別にしても、)しかし学校ではそういうことを学ぶべきだと思います。

学校あるいは学校生活の大きな役割の一つは社会性を養うことでしょう。
他者や異文化、多様性を受け入れる寛容さを身に付けること。
他者の価値を認め、集団の中での自分の役割を見つけていくこと。
これらは少人数の生活の中では経験するのが難しい種類のことだと思います。


学校はいわゆる学力として「知識」や「技能」を教育するだけではいけない、という意見には概ね賛同いただけることでしょう。
むしろペーパーテストで測れるような勉強の成果に限らない、生徒の能力を育てることができてはじめて学校教育の価値があるではないでしょうか。


「塾は勉強を教えている。けれどもそれだけではいけない」

では、学習塾はどうでしょう。
勉強だけ教えればいいのでしょうか。
学校とは違い学習指導こそが本分ではあるのは間違いないと思います。
定期試験で結果を出してもらう。
これが講師が常に意識する課題であることも間違いありません。

 

「勉強以外にどう学ぶかを伝えなければ学習の効果は上がらない」

学習の効果は、学習時間や学習範囲といった指導の設計、どのように学習内容を伝えるか、という指導方法だけで結果が決まるものではありません。
学習者である生徒自身がどのように学習に臨むか、という内面的な要素、精神活動によっても効果は変わってきます。
そして、「どのような気持ちで目の前の課題に取り組む」かという技術は勉強以外にも役立つことです。

 

「学校をサポートする立ち位置の出町アカデミー」

出町アカデミーの指導は、学校授業のサポートを軸の一つにしています。
予習範囲の指導をしますが、あくまで授業を効果的に受けてもらうための指導です。


「どう学ぶかを伝えることで人生そのものをサポートする」

この「サポート」は学習面だけのものであってはならないと考えています。
長期的な目線で学習を考えたとき、つまり高校受験や大学受験といった大きな目標に学ぶ技術の必要性は高まります。

またそれらの目標を達成したその先、生徒たちの人生を考えた時にも、何を学んだかと同時に「どのように学ぶか」が大切になってきます。

 

例えば、勉強は単調な作業を伴います。

未知のものに向き合う好奇心は学習を楽しくしますが楽しいことばかりというわけにはいきません。

しかしその作業にも意義があります。
目の前のことの意義を考えることの大切さ。
これも伝えたいと思っています。
(まだ上手くはできていないのですが。)


「どう学ぶかを知ることは、どう他者と向き合うかを知ること」

「どう学ぶか」という技術は他者との向き合いかたも変え得る、と思っています。
飛躍した話をしているでしょうか?

 

自分の知らないことや慣れていないことの面白さがわからなくても、まず向き合おうとすることの大切さ。

まだよく知らないものの価値を推し量ろうとすることの大切さ。


これを体感として知っている生徒にとって、自分の知らない他者と向き合い価値を認める姿勢は自然なものなのではないでしょうか。

 

もちろん、人への向き合い方と勉強への向き合い方とでは異なる点の方が多いでしょう。
しかし、知らないことに向き合うその心の動きには共通するものが確実にあるのではないでしょうか。
他者を想像する、自分の世界を広げる、その「サポート」としてできることが塾にもあるのではないでしょうか。

 

「未知と向き合う楽しさを知る。それを狙った教室へ」

私は指導を通して、未知のものに向き合う姿勢を生徒に身につけてほしいと思っています。
またそうしたことも狙って指導を展開していきたい、と日々試行錯誤です。


「この教室では他の生徒と自分の勉強の違いが分かる。他人との違いが想像できる。」

出町アカデミーの開放型の教室です。
他の生徒の勉強の様子が見えます。
低学年の生徒も高学年の生徒もいます。
他人がどう勉強に向き合っているか、他人が講師とどう話しているかが分かります。

他人と自分の勉強姿勢を比較すること。
これはきっと他者の想像にもつながるはずと思います。


私自身はこの教室の空間を気に入っています。


生徒の感じ方はひょっとすると違うかもしれません。

他者の感じ方ははっきり聞かなければわかりませんから。

なるべく期待や要望に応えられるように推し量りながら、やはり試行錯誤の日々です。

 


ご一読ありがとうございました。